「教育と映画」〜映画『ノー・ヴォイス』③〜

映画監督・ストーリーエバンジェリストの古新です。
私の初監督映画「ノー・ヴォイス」をご紹介しながら、映画を通じた教育のあり方をお伝えしていますが、
今回が『ノー・ヴォイス』の最終回です。

この映画は、日本航空高等学校さん初め、さまざまな教育機関で上映会や講演をさせていただき、
犬や猫と人間との共生のあり方を発信させていただいています。

映画「ノー・ヴォイス」

前回・前々回とお伝えしてきましたが、現在時代は急速な変化を迎え、AI時代到来となりました。
IQや記憶力だけではなく、創造的思考力が求められています。

引用文献:首都圏模試センター https://www.syutoken-mosi.co.jp/column/entry/entry000668.php

与えられた課題に対して、必要な情報を収集するだけではなく、他者が納得する形で文意を組み立て、
くわえて、独自の視点や見解を踏まえて、説明をしていく力が求められています。

この創造的思考を行う上で、映画やアートといった抽象的な作品を題材とすることは、
作品が制作された背景や制作者の意図を多面的に感受し、考察することで、有益な教材になりうると考えています。

この映画は、殺処分という社会課題をテーマにしておりますが、
単純に犬猫を殺すのはかわいそうというだけではなく、その背景にある状況を理解していく必要があります。
ペットショッブによる生態販売、飼い主のモラル、諸外国と日本とでのペットに対しての意識の違いなどを
多面的に考察していきながら、この社会課題を解決する力を養うことは、
現在社会全体が、SDGsへの取組みやメタ認知などのホリスティックな思考の重要性にシフトしている中で、
教育分野でも大切な視座だと言えるのです。

探究学習などテーマにも本作をお使いいただけましたら幸いです。

この映画の製作背景を少しだけご紹介してこの作品の最終回とさせていただきます。

小生は、昭和の頃からの画一的な学校の教育に馴染めず、
幼稚園・小中高・大学とずっといじめられっ子でした。
友達がほとんどおらず、家に帰れば勉強、ひたすら塾に通って志望校は、
東大しか許されないという雰囲気の環境でした。

第一志望の東大を落ちた時に、自分の存在価値が無くなり、自死を考えたのです。
その時に、日本の教育は、一人の青年を死ぬまで追い詰めてしまう教育のあり方はなんなのかと
考えるようになったのでした。
インターネットを通じて、友人が出来、そこから学校の枠組みから外れた人との交流を始めたのが、18歳の時です。

それ以来、大人が決めたレールを歩むのは止めよう、誰かに言われた人生ではなくて、
自己決定して選択をした人生を進もうと決意をして、現在は映画監督になりました。

2011年3月の東日本大震災で、故郷の釜石初め、東北の多くの町が壊滅状態になり、
現地にて悲惨な状況を目の当たりにしました。

ボランティア活動で訪れた福島県南相馬では、
人間が誰もいない街並みで、犬や猫がのたれ死んだり、彷徨い歩いている姿を見かけ、
人間の身勝手さ、自分勝手さが悔しく、そして恥ずかしくなり、
自身は、マスメディアでは取り上げられにくい題材を映画にするのが映画監督の使命だと考えて、
この作品を初監督作品として製作しようと決意をいたしました。

2011年3月当時の福島県・南相馬の様子

3年近く続けた取材のなかで、犬や猫のことを家族のように愛している方々と多数出会いました。

殺処分を受ける前に保健所から犬猫たちを引き出し、新しい飼い主さんを探す団体、
望まれない命が生まれないよう、不妊去勢手術の啓発を行っている区の職員さんや獣医師さんなど、
犬猫を飼うということは、社会全体で取り組む命を預かる責任が伴うことを
各方面で活動している方々と出会ったのでした。

ペットショップという生態販売は果たして良いものか、
犬猫をモノとして販売するのは如何なものか、
生後産まれて間もない仔犬や仔猫をすぐに販売することは、その後の犬猫の成長に影響はないか、
などなど、深く考察をしないと安易に可愛いだけでペットを飼えてしまう環境が日本には数多く存在していて、
殺処分という問題も、そのような複数の事情が絡み合って生まれていることに気づかされました。

その中で、児童文学作家の今西乃子さんと出会いました。
彼女は、児童小説を通じて、犬や猫と人間との共生のあり方をわかりやすく温かく伝え続けている
素晴らしい作家さんです。
今西さんからは、ペットにまつわる大変多くの情報をたくさん学ばせていただきましたが、
その中で、琴線に触れた言葉を一つご紹介します。

今西乃子さんと愛犬ミライちゃんと講演会に参加した児童たち


「誰かを幸せにすることは、自分を幸せにすること」

小生が、日本の学校教育に馴染めなかったのは、個人主義で成果を上げて、
他社との競争において自己の存在を見出さねばならなかった環境だったからだと思います。

成長社会においては、成果主義・能力主義で評価を受け、
年収や学歴で人の価値を決める発想が根強かったため、
本来の自分の心に素直になって、他者との協調性を育みながら、
社会に貢献していくという視点を持てなかったことにより、苦しみが生まれました。

映画監督になり、外見や肩書きではなく、内面や精神、心のあり方を大切に
生きている素晴らしい方々と出会い、
自身が子どもの頃に出逢いたかった大人たちとたくさん出会うようになったのでした。

社会も学校教育も、知識や偏差値という数値だけで人を評価する時代は終わりを迎え、
社会情動的スキルといった思いやり、貢献感、GRIT(達成する力)に着眼する環境が広がり始めています。

そのような時代だからこそ、他者の存在を認め、他者の意見を聴き入れ、
その中で、自分の意見も臆せず主張できるコンピテンシー(能力)が求められてきています。
そこには、自分と他人とがメタ的な視点では、共同体として結ばれているという発想が重要になってくるのです。

「他者を幸せにする=自分を幸せにする」
という調和の考え方は、
「和を持って尊しと為す」仏教的な縁起の思想でもあり、
アドラー心理学における共同体感覚の発想、はたまた、心理学で言う好意の返報性など、
分野を越境して、先人たちが科学をしているのだと考えます。

私は、自身の作品とともに、講演会活動においても、
子どもたちに、人生を自分らしくデザインができる人になってもらいたいというメッセージを込めて、
これからも作家活動や講演活動を続けていきたいと考えています。

投稿者プロフィール

古新 舜
古新 舜
「Give Life to Your Story!―物語を動かそう!―」をテーマに、映画と教育の融合を通じて、大人と子供の自己受容感を共に育んでいく共育活動をしている。映画「ノー・ボイス」「あまのがわ」を発表し、「いまダンスをするのは誰だ?」の制作準備中である。 映画監督と並行して研究・教育活動をパラレルでおこなう。文化人類学の視座をもとに、関係性のあり方に着眼して、VUCA時代を生きる上で必要なマインドをわかりやすく発信し続けている。法務省主催の「人権シンポジウム」講演、月刊誌「致知」などメディア出演や講演活動を積極的に行っている。

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